上上海上上台!

今月はまず日本出張から

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大陸写真館 福建省 永定 土楼 

土楼1

 久しぶりの大陸写真館です。ブタ子さんが年末年始に土楼へ行かれて記事をアップしていますので、こちらでも取り上げてみたいと思います。

永定地図

 (地図はGoogleマップさんからお借りしました)

 土楼を説明するにはまず客家から説明しなければなりません。説明を読むのが億劫な方は写真だけ眺めていただければいいと思います。写真を見た後はきっと説明を読みたくなるでしょうし(笑)。

 客家とは今から1000年も昔、中国の北方から異民族の襲来を逃れるために南方へ移動してきた移民集団です。少数民族というわけではありませんが、移民していく中で独自の文化や言語を形成したため、その他一般の漢民族とは別個に扱われることが少なくありません。

土楼2

 客家の客という字には日本語でよそ者、つまり他の地からやって来たという意味があります。このように文化や言語が違う外来集団は容易に想像できるように、地元住民との間に軋轢を生じます。

 したがって客家は人里離れた山奥に住居を構えることになります。今の福建省、広東省、江西省の3省が交わる辺りは特に山深く、客家にとってそういう意味では理想的な場所だったのかもしれません。この地区には今でも多くの客家が暮らしています。

 さて、こんな山奥では盗賊や野生動物などからも身を守らなくてはなりません。そこで客家は考えます。外部からの襲来に耐え、厳しい気候の変化にも耐え、そして飢餓からも身を守るために。

土楼4

 客家の出した結論はこの巨大要塞でした。泥、砂、石、木、竹を材料として外側は壁で覆い尽くし、内側には一緒に移動してきた一族が共に生活できるだけの充分な空間を確保しました。これが土でできた建物という意味で土楼と呼ばれます。

土楼5

 土楼の構造は基本的に共通していて、1階が炊事場、2階に食料倉庫、3階と4階が住居。そして内側にも円形の建造物がある場合には、そこは客室。1階中心部には廟があったり、家畜が飼われていたり、井戸があったり、集会する場所があったり、土楼によって様々です。

土楼6

 田畑は外にあったのでしょうが、それ以外は全てこの土楼内で生活できるようになっています。外敵から身を守り、地震や火災にも耐え、通風よく湿気もなく、太陽光も降り注ぎ、保温効果もあり、熱や騒音を遮断する効果もある、という理想的な建築物です。

土楼7

 防衛の面では、ある楼は清の時代に2ヶ月もの間、敵の砲撃に耐えてそれを撃退したそうです。耐震効果の面では、大小の石や、木竹を使用しているので、うまくクッション材の役割を果たし、これまで7度の大型地震があったにも関わらず、1つも倒壊した土楼がないそうです。また天然素材しか使用していないので、仮に壊してしまうことがあっても、簡単に自然に還るというオマケつき。

土楼3

 このような土楼は福建省永定地区を中心に中国各地で2万あると言われており、特に特徴的な円形をした通称円楼と呼ばれるものは360あるそうです。つまり写真でよく見る円形のものは実は少なく、四角い形をした方楼と呼ばれるものが大多数を占めています。

 ここから先は余談ですが、客家は移民ゆえ農業ではなく商業に長ける必要があり、そのため教育水準の高さでも知られていました。華僑として海外に出て行って成功した人達の多くは客家であり、また中国、台湾、シンガポールの軍事界、政界ではそうそうたる顔ぶれを輩出しています。中国では朱徳、トウ小平、洪秀全、李鵬など。台湾では孫文、李登輝など。シンガポールではリー・クァンユーを始めとした歴代首相がいます。

 2003年12月撮影。
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大陸写真館 山西省 平遥 

平遥

 中国で最も完全な城壁が残っていると言われる町です。

 平遥古城として世界遺産にも登録されています。

平遥地図

 (地図はGoogleマップさんからお借りしました)

 中国の場合は城と言っても日本のように天守閣が残っているのとは異なり、万里の長城でもお馴染みのように侵入者を防ぐための城壁のことを指します。

 城壁を残している町は中国には数多くあります。メジャーなところでは西安や南京といったいわゆる古都と呼ばれる町には大抵残っているものです。ただしその多くは風化によって自然崩壊していたり、戦争によって破壊されたり、都市計画によって取り壊されたりしています。

 一方平遥の城壁が完全と言うのは、つまり城壁が町を四角く取り囲んでいる状態が今もって保たれているということです。また平遥の素晴らしいところは城壁のみならず、城内、すなわち城壁の内側の街並みもよく保存されていること。

平遥古城

 (右側は城内、左側は城外。城外は当時造成が進んでいました。)

 城内は古い民家や商家ばかりで、高いビルなど一切建っていません。街は今から700年ほど前に作られていますが、私達が一歩城内に入ると今でもその時にタイプスリップしたような錯覚を覚えます。

平遥中国工商銀行

 (銀行もご覧のとおり。)

 古い中国のテーマパークみたいだ、とも言えるかもしれませんが、テーマパークなんてそんなに安っぽいものではありません。ここは街全体が悠久の歴史を刻み続ける紛れもない遺産。

平遥城内の朝

 (城内の朝の風景。)

 省都の太原から日帰りも可能ですが、城内には当時の民家を改築した風情たっぷりの客桟と呼ばれる宿が多数あるので、当時の生活を思いながら普段とは違う眠りに就いてみてはいかがでしょう。

 2003年10月撮影。

大陸写真館 四川省 楽山 

楽山大仏

 普通に考えればマイナーな場所ですが、過去の例から考えてこのブログを訪れる方々の間ではかなりポピュラーな場所のように思えてきます(^_^;)。

楽山地図

 (地図はGoogleマップさんからお借りしました)

 四川省の省都成都から当時は車で片道6時間。今は交通事情がよくなって日帰り圏内になっていると思います。

 ここにはご覧の通り、山肌をくりぬいて形作られた仏像が鎮座しています。歴史は今からおよそ1300年前に遡り、日本の奈良時代に生まれました。同期に奈良の大仏がいます(笑)。

大仏の頭

 奈良の大仏が高さおよそ15mに対し、こちら楽山の大仏は71mあります。ちょうどこの楽山の大仏の頭一個分が奈良の大仏と同じ大きさです。

 大仏の前には川が流れていますが、ここはちょうど3つの川が合流する地点にあって当時頻繁に洪水が発生していました。そこで治水を祈願するために生まれたのがこの大仏ですが、山をくりぬいて出た土砂を利用して治水工事をしたら結果的に水害は大きく減ったといわれています。大仏と治水工事と元々はどっちが目的だったのかと疑いたくなるような話ではあります。

大仏の手

 それにしても大仏の表情がいいです。両手も大仏にしては珍しく膝の上に載せているだけ。体中のあちこちから木が生えていて、また山に戻っていくかのような佇まいを見せています。大仏というよりも本当に山の守り神といった感じ。

大仏の足

 ここは同じく成都近郊にある仏教の聖地、峨眉山とセットで世界遺産に登録されています。峨眉山には行ったことないのですが、いつか登ってみたいと思っています。

 1995年8月撮影。
プロフィール

Qing Zui

Qing Zui

1974年 11月24日生まれ。
1997年 大学を卒業。
      日本の会社に就職。
1999年 会社を退職して、
      台湾系企業に就職。
      アモイに着任。
2001年 青島に異動。
2002年 退職して帰国。
      日本の会社に就職。
2003年 退職。
2004年 元の会社に再就職。
      台湾の高雄に着任。
2007年 退職して帰国。
2008年 日本の会社に就職。
      上海に着任。
上の画像は
『似顔絵アバターメーカー』
で作りました
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