昨日の続き。
私たちが来た時にバスを降りて、そして帰りにバスを待ったのはこんな場所でした。車なんてほとんど通りません。
15時からバスを待ちましたが、バスが通るのは1時間に2本程度。しかもどれも小型のワゴン車、
全て満員で私たちには目もくれず走り去っていきます。来た時は普通のバスでガラガラだったのに。。。
17時頃になるとバスすら通らなくなってきました。このままこんな街灯もない場所で日が暮れると大変なことになるので、道を走る車全てに手を挙げました。もう必死。
完全にヒッチハイク状態です。
ふと公安(警察)の車が通りかかったので、外国人だということをアピールして頼み込みましたが、今(西寧から)帰ってきたところだからダメと言われて走り去って行きました。
この頃、私たちの他にもう1人ヒッチハイクをしている人が現れました。彼は公安ならぬ
公路と書かれた制服を着ていました。当時公路という職業が何を意味するのかはわかりませんでしたが、字面から考えたらこれは
もしかしたら道路上ではものすごい特権を持っている人じゃないかと思ったわけです。
幸いにもその公路は私たちに話しかけてきました。日本から来たこと、もう2時間以上ヒッチハイクしていること、明日西寧発の列車に乗らなければならないので非常に困っていること、、、私たちは必死に窮状を伝えたのです。
彼は私たちに、日本から来たのはすごいね、
もうこの時間になるとバスは通らないよ、
僕も西寧に行くんだ、公路ってのは道を守る仕事、日本人って好きな時に海外に出れるのか、、、などと言葉を交わしました。
これはもしかしたら彼と一緒にいれば西寧まで戻れるかも?と期待を抱きました。事実彼はその着ている
制服の威力か、道を通る全ての車を難なく停めていました。
これはすごい助っ人が現れた!と私は同行者と手を叩いて喜んだのです。
しかし私たちが目を離した隙に、
彼は一台の車を停め、それに乗って走り去って行きました。。。ウソーッ!!(T△T) 日が暮れてきました。沿道で手を挙げても車は全く停まってくれません。車が停まってくれないのでは話になりません。私は意を決して大きな材木を積んで走ってきた
大型トレーラーの前に飛び出して、その車を停めました。
窓から顔を出したのは、かなり年季の入ったおじいちゃんドライバー。幸運なことにそのおじいちゃんは1人で運転していたので、私たち2人を載せるスペースもあり、私たちを西寧まで載せて走ってくれることに同意してくれました
v(≧∇≦)v! 普通ならこれでめでたしめでたしとなるのですが、この時はそうは問屋が卸しませんでした。何とあろうことか山の中で、このトラックが故障して走らなくなってしまったのです…。
勘弁してくれ(;´д` )。辺りは真っ暗、人里らしき灯りはかけらもありません。8月とは言え、高地なので気温は10℃もありません。絶体絶命。
おじいちゃんドライバー、真っ暗闇の中、エンジンを確認していますが全く直る兆しはなし。と、その時後ろからクラクションが聞こえてきました。私たちの車が道の真ん中で立ち往生していたので、後ろから来た車が通れないのです。こんな夜遅くです。通常なら故障車など気にせず走り去ってしまうところでしょうが、これは
不幸中の幸い。しかもその後続の車はお仲間だったらしく、同じように材木を積んだ大型トレーラー。若い衆3人で乗っていました。
あんたら日本人かい?そりゃ大変だったな。直るまで俺たちの車に乗ってろや。暖房ついているから。。。中国人にも心の温かい人はいるのです!
そんなこんなで西寧に着いたのは夜中1時。宿に戻ると、日本人が戻ってこないとみんなが心配していたようで、ロビーの人も寝ずに門の鍵も閉めずに私たちの帰りを待っていてくれてました。私たちの姿を見て、
あー良かった良かった、無事に帰ってきてくれたと口々に言われました。この日、青海湖の旅は私の数ある旅行のうちでも一番の思い出です。
1996年8月撮影。